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ネットを使って幸せになれる唯一の指針、或いは僕が子供達に何を伝えたいか
- 2012/6/17
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誕生日であった6月16日を回ってしばらくして、僕の元に幾つかのメールが届いた。それは以前、母校で職業体験学習を行った際にアップロードしたYouTubeの動画へのコメントだった。
そこには「〇〇死ね」とか、「とりあえず〇〇は要らない」とか、母校の先生と思われる方々への直情的な悪口が書かれていた(実際は、もっと酷い事が書かれていた)。
当然、僕はいささか腹を立てた。でも、それと同時に思ったことがある。それは、それを書き込んだ彼ら、恐らく僕の後輩である中学生達が、ネットの仕組みをよく分かっていないと言うこと。
僕達は大人だから、母校の校歌が流れるYouTubeの映像を見て、それをアップロードした人物が母校に関連する人間である事が簡単に想像できる。そして、アカウントを取得しなければコメントできないYouTubeで中傷コメントを書けば、そのアカウント名や過去の投稿・再生リストから自分を特定されてしまう危険性がある事も想像できる(実際、そのアカウントや再生リストには、その子達が特定できそうな情報が散見された)。
でも彼らは、その事に気づいていない。黒板のはじっこに悪口を書いたり、友だちと先生の愚痴を話す事と同じレベルだと勘違いしてしまっている。なぜなら、そういう事を教えてくれる人が回りにいないからだ。
今は学校でも情報教育が盛んで、子供達はインターネットの使い方を良く知っている。その一方で、ネットとの付き合い方を教えてくれる大人はいない。教えるのではなく、遠ざける事しかしない。
ネットは危ないから触らせない、それは今の子供達をネットの脅威から遠ざけるのには有効かもしれない。でも、行く先々、その子達が大人の手を離れた時にどうなるのか。操作するだけの技術は学校で教えられる、でもその脅威や危険な点は教えられていない。まさに、なんとかに刃物の状態にはならないか。
僕達はネットという媒体の持つ素晴らしさも知っている。それは万能ではないけど、うまく使えば文字通り人の人生を少しだけ拡張してくれる。近しい人との繋がりを補完し、そして少し遠い人との繋がりを保ってくれる。たまには離れたくても離れられない人とのしがらみも保ってくれる。
そんな媒体を、危ないからという理由で遠ざけておくのも勿体ないと思う。そもそも、完全に利用を防ぐ事なんてできやしない。
だから、僕は何かの機会をどん欲に見つけ、少しでも子供達にネットとの付き合い方を教えて行きたいと思っている。どんな媒体でも、どんな機会でも良いから、少しでも伝えたい。
ネットの使い方やリテラシーも勿論だけど、僕が伝えたい事の本質は、実はとてもシンプルな事だ。それは、ばかみたいに聞こえるかもしれないけど、思いやりの心。
僕は、人と人との付き合いというのは、ネットを通じた付き合いでも対面での付き合いでも、本質的には何ら変わるものではないと確信している。ろくに知らない人であっても人は人。知らない人でも、知ってる人でも、人を思いやったり慮ったりさえしていれば、少なくとも自分が発端になったトラブルは発生しない筈だし、時には知らない誰かとの繋がりができるかもしれない。
これが簡単な事じゃない事は、残念ながら僕たち大人が照明してしまっているけれど、それはちゃんと子供の時代から教えられていれば、将来の大人にはできるんじゃないかと思っている。人が人を思いやる社会、ネットに限らずそういう社会が構築されていくのであれば、それは幸せな社会になるんじゃないかと思う。
ちなみに、コメントを寄せた子供達の投稿は全て削除し、丁寧な(それでいて少し脅かした)メッセージを送っておいた。それをどう捉えたかはわからないけど、今日現在、その投稿のコメント欄は平和だ。
その子達がこのエントリーを見るとは思わないけど、ここで言っている「子供」には、その子達も含まれているという事だけは言っておきたい。