というのとも、少し違うかもしれない。
前職がシステムエンジニアリングの会社だったこともあり、筆者はプロジェクトというサイクルの中でしか仕事をしてこなかった。このため、むしろ「プロジェクトを回す中での学びを構築する」という志向に向かってしまうだけなのかもしれない。
自分事化する
筆者が小中学生の学びを行わせていただいているネクスファでは昨年、サステナビリティをゲームにする→完成したゲームを実際に世に出すという建付けで学びを展開し、今も続けている。最終的にはカードゲームを制作したのだが、この原資は実際にクラウドファンディングを実施し達成したことにより賄った。
これはそのままプロジェクトと呼べるものだ。
この達成のために子ども達は、まだ自分の中に引き出しのない「儲けるとはなんだ?」という事や、「そもそもお金ってなんだ?」ということについて知識を深め、考えなくてはならないし、ヒト・モノ・カネの制約条件の中でベストプラクティスを合意し、実践しなければならない。
もちろん、制作するプロダクトのクオリティだって上げていかなければならない。なぜなら、お客様に買っていただくためには、その方の要求を満たさなければならないからである。
でも、事を成すというのは、結局はそういうことでしょう?大人だろうが子どもだろうが、ここは一緒だよね?
ステークホルダー全員が真剣にやっても報われないかもしれない。でも真剣にやらなかったら、絶対到達できない。たぶんそれって、とっても大変だよ?
で、どうするの? やるの? やらないの?
やりたいんでしょ?
なら、やろうぜ。
この、「なら、やろうぜ」に至るまでに通過する学習者の化学変化が、世間で言われるところの「自分事」なのだ。
アクティブ・ラーニングに従事する者として、学習者に提供しなければならない最も大きな体験が、この自分事化の体験であり、学習によって教化しなければならないのは人の手を借りずに自分事化できる人物の育成であると考えている。
自分事化のための工夫
筆者が中学生に大して行う学びは、自分事化への誘導を更に深めるため、あえて実験的な試みを織り交ぜている。3つ程、例を示そう。
1.わざと事実に反する情報をテキストの中に忍び込ませる
何かを構築する場合、事前の下調べはとても重要だよ。ただ、世の中には誤った情報も流布されているし、さらに言えば意図的でプロパガンダ的な情報も流布されている。気をつけてね。
・・・と言うのは簡単だが、このような注意をしても意味はあまりない。
私の講義では、実際のプロジェクト検討に着手する前段階において、参考資料として幾つかのFACTを準備し学習者に提示することが多いが、そのテキストの中へ意図的に嘘の情報を混ぜ込む。しかもそれは、プロジェクトの推進においてとても都合の良い情報として。
その上で、本格的な調査をする直前にそのネタバラシをし、「ほらね、人間なんて簡単に騙されるんだよ。だから騙されないようにしっかりと調査をしてくるように。」と伝える。ここまでやると、生徒は信憑性の薄いソースから情報を持ち出してこなくなる。そして、その傾向は当該の学びが終了した後も続く。
身を持って体験することによって、気をつけなければならないポイントを生徒が体で覚えるのだ。
2.やりたい事を、できる事に昇華させる
これは成人でも同様だが、コントロールせずにブレストを行うと、実現可能性の低い(でも楽しい、でも素晴らしい)アイデアに終始してしまう危険性がある。学習者がプロジェクトをプランニングする際に、大切なのは、「それが今の自分にできるか」という事を意識させることである。
筆者の講座では、制約条件として明確に「中学生の自分でも実現可能であること」という一文を掲載することが多い。今までのワークショップで自由な意見を求められ、発表で褒められていた生徒は戸惑うが、プロジェクトである以上、地に足の付いていない発表を行わせるわけにはいかないと考えている。そして以下の通り、その救済策も準備する。
3.単純な発表ではなく、プロポーザルをさせる
他でも近いことをしていると思うが、筆者のワークショップでは最終発表に保護者を招き、聞いていただくようにしている。
ただ、単なる発表を行えば、それがどれ程実現可能性を欠いていても、大抵の保護者には褒めていただける。そしてそれは、「意識高いこと言ってるだけで褒められる」というミスリードに繫がる恐れがある。
このため、たとえば筆者の開催する最終発表会は、以下のように開催する。
- 発表会ではなく、プロポーザルとして開催する
- 保護者ではなく、クライアントとして参加していただく
- グループ毎のプレゼンテーションから、「どれを採択するか」を選択していただく
そして、この前段として、プレゼンテーションとは説得のために行うものであること、説得のためには聞く人の立場を考えることが必須であること、実現可能性のないプランを人は採択しないこと、そもそも自分が本気でやりたいと思っていないものは採択されないことなどを丁寧にインストールする。
この行程の中で、学習者のボルテージを高め、自分事化まで突き抜けさせるためのサポートをする。
この行程はほとんど、扇動のようなものかもしれない。最後まで本気にならない学習者もいる。
ただし、結果を見れば、プロポーザルを勝ち取るのは、いつも必ず自分事化した学習者である。
本気になれば勝てる、本気にならなければ勝てない。その事を体験させる仕組みにもなっている。
余談だが、この効果は保護者にも波及する。
学習者が本気でやっていると、保護者もただ単に「褒める」という姿勢から、真剣に考えクリティカルな質問をしていただけるようになったり、より良い改善プランを提案していただけるようになる。
また、通例の投票では自分の子どもに投票しがちであるが、これがより良いと考えるプロポーザルへの投票に変化する。
このようにして、発表の機会そのものを学習の場に昇華することも可能となる。
以上、アクティブ・ラーニングにおいてプロジェクト学習の要素を組み入れることに対する効果のようなものを語ってみたが、冒頭に申し上げた通り、私にはこれ以外の方法論がよく分からない。よく分からないというより、意味がわからないと言うべきかもしれない。