年末のことになるが、知り合いの高校生の口からこんな一言が飛び出した。
「でも、わからないことはスマホでググれば良いんだから、知識なんて意味なくない?」
これはなかなかに重たいテーゼであると同時に、おじさん的には断じて偽を唱えたいテーゼでもある。
というわけで、このテーゼに対して自分なりに解を検討してみたい。
スマホは善なのか悪なのか?
大人も子どももスマホが大好き。電車に乗ったらみんなクルクル、会議の場でもクルクル、仕事の合間にクルクル。私自身、iPhoneのスクリーンタイムを見ると毎日ゾッとするほどの時間を、スマホを見て生きていることを思い知らされる。では、スマホは善なのか悪なのか。
答えは善でも悪でもない、スマホはただのインターフェースであり、ただのインフラである。
人がスマホをいじっている時、そこにツムツムが写っていれば悪、Slackが写っていれば善などという単純なものでもない。その意味についても同様。意味のあるツムツムもあれば無意味なSlackもある。無論、逆の方が真に近いだろうけど。
ええと、何だっけ?
ああそうか、スマホでググることのメリットとデメリット。まずはここから。
ググれるメリットとデメリット
No | メリット | デメリット |
---|---|---|
1 | 大抵の質問には答えが用意されている | しかし、その真偽は不明瞭であることが多い |
2 | 大抵の質問には答えが用意されている | しかし、自分の興味関心に寄った回答となりやすい |
3 | 大抵の質問には答えが用意されている | しかし、想像する機会が失われる |
4 | 大抵の質問には答えが用意されている | しかし、回答がないものは見つからない |
5 | 大抵の質問には答えが用意されている | だから、すぐ忘れる |
ひとつずつ検証してみよう。
1.大抵の質問には答えが用意されている状況
IDC Janpanの報告によれば、2025年には2016年比で約10倍の163兆ギガバイト(163ZB)規模まで増加する。これと平仄を合わせる形でデジタル情報端末の進化も速く、現代において既に情報アクセシビリティは「望めばいつでもアクセスできる」レベルに達している。
これ自体は、全人類にとって喜ばしい状況である。誰もが、どこでも、かつては集中していたナレッジにアクセスできるわけだから。20年前の自分がフェルミ推定なんて言葉を知っているなんて、私自身も想像できなかった。
でも現在は、誰もがフェルミ推定にアクセスし、その概要を知ることができるのだから、この状況が人類の進化にとって悪いわけがない。
だがその一方で、いくつかの解決すべき問題がある。
2.真偽が不明瞭だよね問題
その記事に書かれていることが事実なのか、はたまた妄想なのか、もしくは悪意のある嘘なのか。
情報リテラシーの概念が欠如していると、「ググる」はとても危険な装置となる。
3.自分の興味関心や感情が反映されちゃう問題
見落としがちなのがこのファクター。
今大抵のブラウザはそしらぬフリをして人々の検索キーワードやブラウズ時間をコツコツと収集している。そして、それが検索結果に反映されているのだが、その事実をキチンと理解している人は多くない。しかし、使用者の興味や関心は、端末に表示される検索結果に影響をもたらすのだ。
またこれだけではなく、とあるキーワードに対して自分が感じている「感情」が伴う場合、キーワード「○○(調べたい語句)」の後ろに「△△(感情を示す語句)」が追加されるだけで、検索結果の傾向が大きく変動する。これは昨今よく見かける、大きな社会現象が発生したことを機に、ネット上の人々が真っ二つに分かれて対立し合う状況の一因となっている。
この状況が現代に限ったものかと言われれば、そんなことは全く無い。古来より新聞の報道は各社とも一定のスタンスやポジションを持ちながら発信されてきたものであるし、国家に至ってもこれは同じことである。
ただ、重要なのは、「ググる」は検索者本人が自分の思考の偏りを自覚しづらい装置であるという点である。
4.想像しなくなっちゃうよね問題
現代社会の問題はとても複雑でアンビバレンツな要素で成り立っているので、考えれば考えるほど混乱してくる。なのでググる。ネットにはわかりやすく、そして思わず納得してしまう回答が転がっている。「一言で言えばこうです」みたいな情報に「ホンマかいな?」「出来すぎてない?」と思いつつも、あまりにわかりやすい結論を前に、今まで不明瞭だった問題を腑に落として「QED。はい次~。」と言ってしまいたくなる。
かくして自分の意見は失われ、誰かのわかりやすい意見の仮面を被ってしまいがちである。
その末路が陰謀論とかになっちゃう。
5.回答がなかったらどうするの問題
他者のナレッジに乗っかれる場合は、それでもまだマシである。
本当に答えを探したい時に、その答えが全く見つからなかったり、逆に無数で無軌道な解を前に途方に暮れることもある。
というか、本当に困っている時に限って、大抵グーグルさんは答えをくれない。
それは具体的に過ぎて、深刻に過ぎる問いであることが多いから。
かくして、「具体的で、深刻すぎる問題なので、自分で答えるしかない」というシチュエーションが訪れた際、その訓練の機会を「ググる」に奪われてしまっており、十分な問題解決能力が養われていないことから、「オワタ」という状況になってしまう。
6.簡単に調べられるから、すぐ忘れちゃう問題
すぐ忘れちゃうというよりも、心の引き出しに残らないということの方が大きいかもしれない。
とかくインプットの多い時代なので、いちいち覚えているときりが無いのだが、その位置づけくらいは把握した上で、心のインデックスを作っておかないとマズイはず。
ただ、「ググる」装置はあまりにも回答に直結してしまうため、インデックスを作る余裕もなく心に届いてしまう。そこが悩ましい。
さて、では知識には意味がないのか
私が言いたいことはとてもシンプルなのに、随分まわりくどい説明になってしまっているなあ。
唐突だが、「こういう時代だからこそ、知識には意味がある」というのが私の解である。
正確には、深い知識は必要ないと思う。そんなものはグーグルさんに任せれば良い。必要なのは知識のインデックスだ。
ここで言うところの「知識のインデックス」とは以下のようなものだ。
- いつでも取り出せるように、カテゴリー整理されている
- その特徴が書かれている
- 自分の短評(知った時、自分がどう思ったか)が書かれている
- 他人の意見(一般的なものだけでなく、極端なもの)も書かれている
では、なぜ知識のインデックスが必要なのか。
1.アイデアは天から降ってこないから
なぜこのようなインデックスが必要かといえば、アイデアは天から降ってくるものではないからである。
ニュートンは、リンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見したというが、あれは天から降ってきたわけではない。ずっとニュートンが考えていたことが、リンゴが木から落ちることをきっかけに1つに繋がったのだ。
つまり、知識のインデックスに入っていない情報に基づいてアイデアが生まれることはない。
2.自己の立ち位置を相対化する必要があるから
冒頭のスマホがそうであるように、スマホ自体に良いも悪いもない。
一方、大抵の場合において人は情報に何かしらの意味を付与したがるし、それは仕方のないことだろう。
だからこそ、自分の意見と世間の意見を別のものとして格納しておく必要がある。
フェイクニュースには「真実」という言葉がよく使われる。真実は「結論」という言葉に似通っている。
というわけで、昨今では「真実」を掴むことは容易ではないし、真実どころか「事実」すらも怪しい場合もある。
世の中の複雑な問題の殆どは2択問題ではない。
正解がたった1つではない時に大切なのは、自分のポジションを明確化しておくことである。
・・・というのはあまりにとりとめもない説明なので、具体例を挙げてみる。
例:「原子力政策はどうあるべきか」の場合のイメージ
極端: 即刻全停止 | どちらかと言えば廃止 | どちらでもない | どちらかと言えば推進 | 極端: 原発のみ、他は廃止 |
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自己のポジション その理由 |
- 立ち位置を把握するため、議論の両極端を取り出す
- その上で両方の意見から自分のポジションを仮決めする
- ポジションだけでなく、その理由もピン留めしておく
※なお、筆者のポジションが「どちらかと言えば推進」という意味ではない。念の為。
チラシの裏案件だな、これ。
1つのテーゼに対して2つ以上言いたいことがあったので、随分と内容がとっちらかってしまった。
これは、知識のインデックスが必要と言っている人間の論旨じゃないなー。
近いうちに情報を再構築して、自分の目録に入れられる情報にしよう。
ここまで付き合ってくれた方、すいませんでしたm(_ _)m