ふと思い出した事があり、それを思い出した事により感じた事があるので、空気感を忘れないうちに、ここに書き記しておく事にする。単なる備忘録であり、独白。言わば、壁当てのキャッチボールみたいなもの。しかも、とても長いので、物好きな方だけ読んでいただければ。
サル山のボスが飼育員に殴られた
その昔、かつて中学生だった時の話なので、実に25年以上も前の事なのだけれども、言われのない?事で当時の校長にぶん殴られた事があった。
その日は天気が中途半端で、昼休みに何となく持て余していた同級生達が、ぬかるんだ校庭でも遊べずに、学校の廊下と叩きの間みたいなスペースで鬼ごっこをしていた。
で、私はその輪には入らなかったんだけど(めんどくさいから)、何となくそこで日向ぼっこをしていた。
でも、中学生が鬼ごっこするのだから、だんだんエスカレートしていくのは必定。
逃げている同級生が、ガラスドアを閉めて鬼が来るのを止めたりしているうちに、とうとう閉じたガラス扉に鬼が手を突っ込んで大怪我をした。
事件現場は職員室の目と鼻の先にあったから、大きな音を聞きつけた先生達が飛び出してきた。
真っ先に走って来た校長は、真っ直ぐ向かって来て、いきなり私をぶん殴った。「お前がいながら何させてやがる」みたいな事を言われた。
実際問題、私は無関係だから面食らったけど、悲しいかな、その当時の私は生徒会長だったのです。
青天の霹靂的な暴力を振るわれて、でも素直に「すいませんでした」と謝った。なんというか、その場を丸く収めるために。
そんな状況だから、誰が悪いかなんてよくわからないけど、実際に生徒が1人大怪我してんだから、誰かを怒らなきゃならいだろう。その際、その群れのボスを怒るってのは適切だなあと思った。
で、ぶん殴られて謝った私が、「というわけで解散ね〜」と言った時には、もうみんな妙に落ち着いてて、その統制の一連を見て、「校長もなかなかやるなあ」と思った。私の中ではすっかり終わった話になってしまったので、親にその事を報告する事はなかった。というか、報告するべきかどうかすら考えなかったと思う。
ちなみに、後にも先にも先生にぶん殴られたのは、その時が最初で最後だった。親には何度もぶん殴られましたけど。
サル山のボスが飼育員に殴られた事件には後日談があった
で、ここからは、ついこの間知った話。この話には、私の知らない後日談があったらしい。
その事を親に話した子がいたらしくて、またたく間に、保護者の間で問題になったらしい。たぶん、先生が生徒を殴ったって事が独り歩きしたんだと思う。
で、その話がうちの母親のところに、「明日学校に抗議に行きましょう!」くらいの勢いで持ち込まれたらしい。
でもその事実自体、母親は知らないわけで。恐らく面食らったとは思う。
でもその時、母親は他人事みたいに「でも、うちの息子が文句言ってないんだったら納得してるんでしょうから、それには及びません。殴られるのは、必要な事だったんでしょう」みたいな事を言って、にこやかに、でもキッパリと門前払い食らわせたらしい。
まあ、うちの母親も仏様みたいな顔してるくせに大概気が強いから、相手が面食らってそこで終わったらしいんだけど。
いや、何が言いたいかというと
「何でも話せる家庭環境」が理想的みたいな風潮があるけど、本当に何でも報告させるとか、逆に子供が何も自分で抱え込まずに相談するとかってのは、それはそれでとても気味が悪い事なんじゃないかと。中学生や高校生にもなれば、親に隠してる秘密の一つや二つはあるだろう。それどころか、三つや四つや五つや六つもあるだろう。私なんか、自慢じゃないが軽く3桁はあった。
そしてたぶん、親にも言えない悩みだってあるだろう。その当時抱え込んでた悩みなんてのはすっかり忘れたけど、まあ色々あった。
それを逐一何でも親に相談するってのは流石にどうかなと思うし、それを親が知らない事が悪い、心苦しいみたいなのも、言ってしまえば余計な御世話なんじゃないかと。
それは過保護であり、強依存。そしてたぶん、それって結果として無責任。現在じゃなくて将来に対して無責任。だって、親はいつまでも子供の隣を歩けないのだから。
結局、思春期を超えた親子関係として大切なのは「子供に何でも話してもらえるか」じゃ無くて、「本当に困った時に味方でいてくれるって信頼」なのではないかと思うのです。
私も、大概の事は無理矢理自分で解決していたし、ちっちゃい事を相談しても親は気にも留めてくれなかったけど、あーこりゃあいよいよ本気で駄目だって時には親に真剣に相談していたし、その時は真剣に受け止めてくれたように思うし、私の出した無茶苦茶な結論を支持してくれた。
親には未だに生意気な口ばかり聞くけど、そのあたりは本気で感謝している。
うーん、それでまあ問題は
私が子供達とそういう関係を築けているんだろうかって事なんだけど。
こういう「今際」にならないとわからんセーフティネットは、使われない事もあるわけだし、その機能が備わっている事をわかって貰えているかな?
単に、いざと言う時にも、平常運転でも頼りにされてないだけだったりして(ははは)。
ちなみに
母親のくだりで「らしい」という表現が多いのは、単にこの件について僕が本人と話をしていないからです。きっと死ぬまで話はしないと思う。